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家を買ったら仕事やめた…

生まれつきのあざ

      2015/06/18

来てくださってありがとうございます。
このブログは生まれつき右腕に異所性蒙古斑があった娘をもつ母親が、完治までの経過を書き綴ったものです。
同じような悩みを持つ方が、この治療記録を見て少しでも参考になりましたら幸いです。

生まれたとき

初めて娘と対面した時は、右腕のあざには気付きませんでした。
感動で涙を流しホッとしていたら、立ち会った私の母が「先生あざは消えるんですか?」と聞いていました。
助産師さんは「蒙古斑みたいなものなので消えるとおもいますよ」と明るく答え「よかったあざ消えるって」と少しこわばった顔で母は私に言ってきました。
正直何のことやら事態がのみこめず、私はボー然とやりとりを聞いていましたが、娘の右腕のあざに気付くと言葉を失いました。

娘は肩から手首まで濃い青あざがあったのです。
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ばあばの涙

私は郷里出産でした。娘がうまれたのは平日で主人は仕事もあったため、その週の土曜日が主人と娘の初対面でした。
電車で来る主人を私の母が駅まで迎えに行くことになり、私は娘と病室で2人の到着を待っていました。
あとから主人に聞いたのですが、私の母は車の中で泣いていたんだそうです。
なんの罪もないかわいい孫にあざがあってかわいそうだと。
気にしやすい性格の私の前では泣けないと言っていたそうです。

沐浴

入院中、沐浴指導があるというので娘とナースステーションの中にある沐浴室へ行きました。
そこにはすでにもう1組の親子がいて、聞けば同じ日に生まれたとのことでした。
看護士さん「それでははじめます」「どちらかの赤ちゃんにモデルになってもらおうかな」
ちょうど手前側にいた私の娘がモデルに選ばれました。
なにも知らないで気持ちよさそうにプカプカお湯につかり、洗ってもらう娘の右腕にはやっぱり大きな青あざがありました。
私はあざばかりが気になって看護士さんの説明はほとんどうわのそらで聞いていました。
娘には青あざがあるのにさらしものにされた…。と少し傷つきました。

退院

退院のとき娘の診察を受け、服を着せている
生から「腕のところやっぱり少し濃いので気になるようでしたら早めに皮膚科に診せた方がいいでしょう」と言われました。

退院できる喜びにひたりたいところでしたが、心の中は“やっぱり濃いんだ”“皮膚科ってどこにいくの”“あとは自分で調べるの”とザワザワした気持ちでした。

まわりの反応

娘のあざについて、主人はあまり気にしていないように感じました。
私があざのことを言うと「こんなにかわいいじゃない」とあざのことより娘が生まれた喜びをかみしめるのに夢中でした。
一番気にしていたのは私の母でした。
娘の沐浴時や着替えのとき、青あざがある右腕があらわになると「ハー」とためいきをつき眉間にしわをよせていました。
「かわいそうに」「何も悪いことしてないのにな」「おなかにいるとき毎日神様に、あざのない子が生まれてきますようにってお願いしなかったからかな」「ごめんね」
実家に帰っている間、これらの言葉を母は何度も言っていました。
私には姉が2人いるのですが、あざのことにはふれないように気をつかってくれているのがわかりました。
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自分を責める

なぜ娘にはあざがあるのだろうか。娘のあざは妊娠中の行動に関係があったんだと決めつけて、いろいろと思いおこしてはへこみました。
まずは、妊娠がわかる数週間前に生肉を食べに行ってしまったこと。
その後血液検査でトキソプラズマの数値が高くでて再検査になり生肉を食べたことをすごく後悔し悩みました。
再検査の結果を待てず、トキソプラズマを専門に研究し治療もできる先生がいる大きな病院にも行きました。
詳しい検査の結果、妊娠よりずいぶん前の感染だということがわかり、取り越し苦労でした。
そのとき悩みすぎたのがいけなかったのか…。
妊娠7か月まで残業の多い職場で働き、体に負担をかけすぎたせいか…。終電間近の電車で帰ることもよくあり、極度の疲労で座席から立てなくなることもありました。
他にも、スプリングの壊れた古いシングルベッドに主人とキツキツに寝ていたのがいけなかったのか…。
自分を責めだしたらキリがありませんでした。

うつ?

娘のことを心配し、眉間にしわをよせる母の顔をみると正直吐き気がしました。
一日中部屋のカーテンは閉めっきり、ずっとパジャマ姿のまま。母が用意してくれた食事も布団の上で済ませました。
誰にも会いたくないし友だちに出産の報告もしたくない。
生まれたことを友だちに言う→会いにくる→あざを見られるかもしれない…。生まれたことを言わなければいいんだ。という考えでした。
夜になると声をころして泣きました。<
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なんであざのある子を生んでしまったのか。
私ってつくづくダメな人間だ。みんなもきっとそう思ってるんだ。みんな嫌いだ。
心も体も疲れてしまっていたんだと思います。
でも、普段娘と関わっているときはあざのことなんて忘れていました。
着替えやお風呂のときあざをみて“ああ…そうだった”という感じです。

じいじの言葉

娘のあざを見るたび
「だんだんうすくなってきてるんじゃねん」(だんだんうすくなってきてるんじゃないの)
「おらぁ消えると思うんだけんどな」(俺は消えると思うんだけどな)
「しゃーねーしゃーねー」(大丈夫大丈夫)
父も心配していたのだと思いますが、プラス思考な言葉で励ましてくれました。
私は「そうだね」と答えながらも心の中で“私はこんなに悩んでるんだからそんなに軽く考えないで”“全然うすくなってないから”“無責任なことを言わないで”と思っていました。

ばあばの言葉

娘が生まれて1か月が経ち、母の運転する車で検診に向かいました。
私は退院時の検診で子宮筋腫が見つかったこともあり、2人目の子どもはできるのか先生に聞いてみようと思っていました。
車内でそのことを母に話すと「何を考えてるんだ。バカ。今はあざのことが心配でそんなことどうでもいい」
「絶対聞くな」とすごい剣幕で言われました。
なんだか傷つき放心状態で病院に行きました。

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